生物窒素固定研究の(あれこれ)諸相

NPO法人 日本バイオ技術教育学会
理事長 小野寺 一清

空中に多量に存在している窒素ガスを生物が利用できるのは、窒素固定という反応によって始めて可能になっていることに目を向ける生物学者の数は光合成に比べて少ない。光合成は太陽のエネルギーを利用して酸素を生産しながら、炭酸ガスを固定してブドウ糖を生産することは、小学校の理科の教科書で学ぶことができる。

 種々の民族で太陽神を持っていない宗教はなく、あっても例外に属するといえよう。窒素固定のする生物は微生物であり、目には見えないのでこのように宗教の対象にもならなかったと思われる。宗教に起源のような精神的な文化にかわる問題でも、具体的な対象として目に見えるという事実が基になっている。つまりどのような神を考えるとしても、何らかの現象が必要であったと思われる。これから窒素固定研究をいろいろな面から述べてみたいと思う。

1.窒素の循環

地球上に生物が出現してから40億年という時間が流れたといわれている。

物質を構成している元素、K,P,SやMg,Moのような元素は土壌のなかにあるが、地方によって存在量は多いところと少ないところがある。

ダイヤモンド、金、銀、銅等、近年ではウラン、レアアースのような元素の分布は一様ではない。我国ではこのような元素が少ないのであるから、科学立国によりこれらの元素を他国から輸入して、それに手を加えて輸出して暮らしていかなければならないといわれている。このような一見もっとも言葉も改めて検討する必要があると思われる。メンデーレーフの周期表作成から始まる営々として続いた、無機化学の発展があったことを忘れてはならないと思う。我国の現状はしいて言うならば、イノベーション立国を目指しているというべきでしょう。

さて、それと比べて窒素、酸素、アルゴン、そして CO2などは空気中にあるので、地上の気層の濃度はどこでも一定であるといえる。

植物がCO2を固定して太陽からくるエネルギーを使ってCO2を有機物にして、その有機物を利用して生体物質を作り、それらをO2により酸化して、その時獲得したエネルギーで植物は生育することが出来る。

動物はこれら植物を食料として生きている。炭素の循環はこのようにして、比較的分かり易い。これに対して窒素の循環は複雑で理解するのも容易ではない。ポイントは空気中に一番多量にあるN2は直接利用するのではなく、微生物によりNH4に変換されたものしか利用できないという点である。

N2からNH4に変換する反応を窒素固定という。現在微生物(原核細胞)だけがこの反応をすることができて、この反応をする真核細胞はまだ発見されていない。

生成されたNH4を植物は硝酸、亜硝酸に変換する、再び微生物が逆反応でNH4からN2に変換して再び空中に戻す。このようにしてN2は循環している。私がこれから語ろうとしているのは、最初の反応である窒素固定反応の研究を様々な切り口で出来るだけ易しく説明するつもりである。

2.窒素固定とはなにか

NがないとDNAもアミノ酸もできないので、生命は誕生できない。

英語ではdiazotrophs という言葉が使われる。

窒素固定で出来たアンモニアを縮物が様々な化合物に変換する過程を同化という。

1年間に8×107トンのN2が固定されてといわれている。

空気中に4×1015のN2 が存在するが、植物はこれを利用できない。マメ科植物と根粒菌が共生してできたアンモニアは、緑肥として古くから農業でつかわれてきたし、現在でもこの農法は健在である。

Cyanobacteriaという海に生息する微生物は光合成と窒素固定が出来るので生物窒素固定で得られる窒素の量はこれまで想像されていたよりも多量である。

オーストラリアでは穀物の窒素の1%しか化学肥料に依存していないのに反して、穀物の生産性がそれほど高くないインドでは全N量の40%が化学肥料に依存しているという統計資料がある。

また、オーストラリアの西側の地方ではマメ科植物ルーピンの寄与が高い。このような近代的な微生物学に至るまでに、南方熊楠は藻を栽培して寒天を作り、これにバクテリアを生育させて空中窒素を固定されてはどうかと提案したという話が鶴見和子著にて伝えられているが、どの程度本当なのだろうか。

Azotobacterといわれる微生物は、大まかにいって生理学的に似ている1つのグループを形成している好気的土壌細菌である。研究の歴史も古かった。(Beyerink)

第2次世界大戦の終結前、我国の理化学研究所で仁科芳雄の指導の下で窒素固定の研究は、ドイツと同じように国家プロジェクトであった。それは仁科研究室でサイクロトロンが作られたことにより、N13の製造が可能になったからである。

一般的に認められていたニトロゲナーゼの代表的なものであった。これは絶対的好気性細菌として有名なものであった。還元反応であるニトロゲナーゼは酸素に弱いのにどうして窒素を固定できるのであろうか。

また、マメ科植物の根瘤の研究からleghemoglobinが、当時名古屋大学の助教授だった久保秀雄氏によって発見され、論文として発表されていた。一方、西ヶ原の農場試験所にいた石沢修一氏は根瘤菌の変異菌(無効根瘤菌といわれていた)が分離されていた。この根瘤菌の変異株が大豆の根に共生すると、根瘤は形成されるがleghemoglobinは作られず、窒素を固定することは出来ない無効根瘤となるためである。

このことは根粒菌の遺伝子の働きは、植物の遺伝子(leghemoglobin)の表現を制御していることを意味していた。根瘤という言葉も今では根粒という言葉で置き換えられて、本来の意味がなくなってしまった。癌という字はKrebs(蟹というドイツ語)を意味していて、がん細胞の集団はcontact inhibitionがなく、細胞同士が重なり合って生育したために蟹を連想させるので、学会の名称も癌学会と呼ばれていた。現在ではその意味を理解することが難しい。もし根瘤という漢字がなければ、わたしが大学院の課程を終えて、カナダのオンタリオ癌研究所を訪ね4年間仕事をすることもなかったであろう。

さて、1980年にAzotobacterのニトロゲナーゼの研究でも新事実が発見された。

この年に私は京都大学ウイルス研究所から東京大学・農学部に15年ぶりに帰還したので、この事件を新鮮な気持ちで受け止めたのである。その新しいニトロゲナーゼに話を移そう。

これから述べるのは学術論文ではなく、随筆のようなものですので引用文献はなるべく引用しないつもりです。これまでニトロゲナーゼの研究の中心であったA.vinelandiiは1種類のニトロゲナーゼしかもっていないと考えられてきたが、新しく2種類の酵素を持っていることが発見されたのである。注目すべきことはこの新しい結論だけではなく、実験方法である。これまでの生化学的方法ではなく、遺伝学を用いた分子生物学の方法を巧みに使用されたことである。

 無窒素培地に生育できない変異菌をNif^、野生型をNと表します。

Nif^にも2種類あり、逆変異により元に戻るもの、一般にrevertantと表現し元に戻れないものをdeletionと表現します。Deletion型のNifから出発して、これを無窒素培地で培養します。菌は生育できないはずですが培養液は濁ります。この細胞から抽出液をとり2次元電気泳道で展開すると2種類のタンパク質がろ紙上に見つかりました。この方法はこれまでの生化学では使われたことのない新しい方法でした。これらのタンパク質を調べてV,Feを含むものとFeしか含まないことを確かめました。野生型のタンパクはMo,Feを含みますが、これらの金属以外にV,Feを含むものとFeしか含まないタンパクと3種類あることが発見されたのです。この発見に研究者は大変驚きました。生物窒素固定の枠組みを大いに広げることになるからです。15年間の研究に追いつくのは容易ではないと思い、1980年の夏休みを利用して1ヶ月ロンドンに滞在して、英国の色々な研究者を訪ねて勉強することにしました。拠点はロンドンのSt,Marry’s HospitalのDr.Bob Williamsonの研究室です。この病院はフレミングがペニシリンを発見したところです。彼のグループは当時Cystic fibrosisの原因となるヒト遺伝子を分離しようとしていました。彼はこのプロジェクトのリーダーでした。

彼に頼んで約束をとってもらい、多くの窒素固定の研究者を訪問しました。例えば窒素固定関係の代表として英国のサセックス州・ブライトンにあるNitrogenn Fixation Centerを訪問しました。所長のJ. Postgate先生には会うことができませんでしたが、Dr.Christian KennedyとDr.Ray Dixson(当時大学院の学生)に話を聞くことが出来ました。前者にはイタリアの国際会議で会う機会がありましたが、後者とは久しぶり(35年ぶり当時大学院の学生でした。)に宮崎でお会いすることが出来ました。最近になりJ.Postgateの自伝が出版されたので早速入手して読んでみました。彼は英国ではJazz奏者として有名な人で、微生物の研究者とは異なる一面を持ちChristian Kennedyさんがあのとき言った言葉の意味がやっと理解できました。彼女曰く、我々はこの研究所で給料を頂いているが、Postgateはcountry gentlemanだと言ったのです。自分たちとは違う世界の人だといったのでしょう。自伝の中の「忘れえぬ人」という章で江上不二夫先生のことを紹介しています。ある学会で江上先生はエスペランド語で彼に話しかけたということです。Postgate先生はラテン語に堪能でしたので会話が成り立ったとのことです。自分の研究室の石本真先生の硫黄細菌のチトクロームの話に花が咲いたようです。Postgate先生は窒素固定を研究する前に硫黄細菌を研究されていたのです。石本先生は日本にオパーリン博士を招待した先生です。私も若い頃オパーリンのコワセルベートと生命の起源説を読み、興味を持ったことがありました。先生にはオパーリン著「物質・生命・理性」(岩波書店)1979等があります。

この時代はアメリカとソ連の間はいわゆる冷戦時代でした。オパーリン先生を日本に招聘することは大変勇気のいることであったと思います。

John Postgatte FRS, Microbes,Music and Me,A Life In Science by Mereo Books,2013 

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