生物窒素固定と化学窒素固定

NPO法人 日本バイオ技術教育学会
理事長 小野寺 一清

生物窒素固定の研究が始まる前にドイツで化学窒素固定の発明が20世紀前半になされていた。ハーバー・ボッシュ法による窒素固定の発明である。

化学式で書くとN2 + 3H2 → 2NH3と表記される。

H2は水を化学的に分解したものが原料となる。この反応は高温(400-600℃)、高圧(200-1000atm)という条件下で、Feを中心とする金属触媒を使用する。ハーバー(1918)、ボッシュ(1932)の2人はノーベル賞を受賞している。この発明の父と呼ばれるオストヴァルト(1909)も触媒作用、化学平衡、化学反応の速度論によりノーベル賞を受賞している。

明治時代に我国の科学者(森 鷗外、鈴木 梅太郎、北里 柴三郎)がドイツに留学したのも当然と思われる。

ある調査によると1950年から1990年までに、空中窒素固定工業は27倍の大きさに拡大され、世界中に拡がった。私が根粒の窒素固定の研究を始めた1965年には昭和電工を中心として、窒素肥料の生産の全盛時代であった。窒素肥料の使い過ぎのため、富栄養化といわれる環境問題の走りとなった。このような時代にあって、一人の大学院の学生に共生窒素固定の研究がテーマとして与えられたのかを調べた結果は18thICNFに於いてポースターとして発表した(興味のある方は一読してください)簡単に言うと第二次世界大戦下にあって、ドイツに於いてそうであったように、生物窒素固定、その内でもマメ科植物の窒素固定の研究は国家プロジェクトであった。N13が理研のサイクロトロンで作られアゾトバクターのN2固定、根粒のなかで作られるヘモグロビン(leghemoglobin)は久保秀雄氏によって発見されるなど、独創的研究が理研で行われていた。しかし、終戦と共にGHQによりサイクロトロンは破壊され、N2固定の研究は中断されてしまった。戦後アメリカではデュポン社(化学工業)で絶対嫌気性(O2の存在で生育できない)Clostridium pasteurianumのニトロゲナーゼの生化学的研究が開始された。窒素固定酵素はO2の存在を嫌うので、この微生物を選んだのは当然であった。しかし、ニトロゲナーゼ自体がO2の存在下で失活するので実験室で仕事するために水をはじめ試薬を含む溶液、また配管の中を動く全ての気体もO2を除去されている等々、アメリカでしか出来ないような立派な研究室が建てられたことが私にも噂として聞こえてきた。デュポン社は生物窒素固定の実用化を断念して、21世紀に残されたプロジェクトとなっている。一方アカデミアとしてはウィスコンシン大学のR.H.Burrisの研究室が中心となって、多くの人材を輩出してアメリカに於ける生物窒素固定に関するセンターとなった。興味のある人は私のポスターの内容をご覧ください。宮崎学会ポスター

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする